格言をアップデートしてみる。
"過ぎたるは、なお、及ばざるがごとし。"
この言葉、実は私は好きではありません。
何事も中庸であることが重要という孔子の教えですが、 中庸であることを求めても実は中庸であることなど判る事は無いでしょう。
とすると、この言葉の真意とはどこにあるのか?を考えてみて
更にもうちょっと味付けできないものか?という事を
今回考えて見たいと思います。
好きじゃないモノも、好きになる努力が必要ですね(食べず嫌い的な)
及ばざる事は、何も達成しないことになります。
過ぎたる事は、結果として残念な事象を招く事があります。
これは恐らく間違いがない事でしょう。
孔子も正にこの点を指摘しているのだと、私は考えています。
しかし、及ばざる事に関しては何も成さないというだけなの対して、
過ぎたる事は経験して次に繋げる学びを得る事はできます。
自分の心持ち次第ですが、しっかりと事象を検証して「なにがまずかったのか?」
という点を自分のものに出来たとするなら、ひとつ成長できた事になるはずです。
及ばない事、過ぎたる事、どっちの温度感の方が良いのか?
私の考えとしては、
1)中庸であることを考えても中庸は結果であって現状として知り得ない
2)過ぎたる事の方が、及ばない事よりも得るものが多い(及ばないはゼロに近い)
3)やらない人より一所懸命の人の方が周囲が見ていて応援したくなる
4)チャレンジしない人生なんてもったいねーぜベイベー!!
5)あ、だけど過ぎすぎちゃっても問題だからバランス感も大切ね♪
という事で、過ぎたる方向性を持ちながら周囲に「今、過ぎすぎ?」などと
色々と判断して頂けるチェック体制を敷くのが、最もよい突っ走る環境じゃ〜
無いのかと思った次第です。
そこで、格言のアップデートをしたいとおもいます。
前半は孔子、後半は今回ひっつけた部分です。
"過ぎたるは、なお、及ばざるがごとし。及ばざるは成すことも無し。"
ガンガン進みつつ、ちょっと後ろを振り返って自分の反省タイムを設ける。
こんなイメージじゃないでしょうか?
ということで今後もガンガン行きますので、誰か手綱をひっぱっておいてください。
宜しくお願い申し上げます。(自分では後ろ見ないとか)
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